2007年12月24日月曜日

2007年12月24日(月) クリスマス!

サンタさんとルドルフ
クリスマスイブですね!子供たちの待ちに待った年中イベントです。うちの子もサンタさんへの願いを手紙に書いて、玄関のドアに貼り付けましたので、きっとその願いはサンタさんのもとへ届くことでしょう。
 
ところでサンタさんっていつから存在しているんでしょうね?...とその前に、世界には公認サンタというのがいるそうです。日本人にも一人いて、パラダイス山元さんという方なのだそうです。その方の関連サイトによると、、、
 
サンタクロースのお話
 
「むかしむかし、小アジア(今のトルコのあたり)のミラという所に、ニコラスという人がいました。ニコラスは、キリスト教を信じて、人々にその教えを広めていました。あるとき、町に貧しくて娘をお嫁にだせないという人がいるのを知り、ニコラスはその人の家に窓から金貨を投げ入れてあげました。次の日金貨を見つけた家の人は喜んで、娘をお嫁に行かせました。
 
このことが町中に広まり、ニコラスは人々から尊敬されるようになりました。」その後、ニコラスはセント(聖)・ニコラスと呼ばれるようになり、キリスト教がアメリカに広まっていくなかで、「セント・ニコラス」がなまって「サンタクロース」と呼ばれるようになったんだ。
 
このニコラスが窓から投げ入れた金貨が、偶然、暖炉の側につるしていた靴下の中に入ったことから、クリスマスのプレゼントを靴下の中に入れる習慣ができたんだって。
 
やはりサンタさんにもモデルとなる人がいたんですね。ちなみにパパペライザーが最後にもらったクリスマスプレゼントですが、小学校3年生のときのセサミストリートのおうちセットでした。意外に憶えているもんですね。
 
さてさてうちの子はプレゼント、喜んでくれるかな?サンタさん、お願いしますね!
 
Merry Christmas!!

2007年12月16日日曜日

2007年12月16日(日) マンガ遍歴

Richie Richです!
会社の同僚から「医龍」というマンガを借りました。破天荒なマンガですが、医学の言葉がバンバン出てきます。描くほうも相当の医学知識が必要だろうなぁと思ってしまいました。そういう意味で、マンガはいろいろなことを教えてくれます。そういえば、パパペライザーはいつからマンガ読んでいるんだろう?ということで、今回はパパペライザーのマンガ遍歴を追ってみたいと思います。

最初にはまったマンガを思い出してみると、記憶に残っている範囲では"Richie Rich"に最初にはまった気がします。日本でも1994年に実写版映画が上映されたので記憶にある方もいるかもしれませんが、想像を絶する大金持ちの性格のいいお坊ちゃんが主人公のマンガです。お小遣いは毎週10万USD(当時の為替レート換算で3000万円!)で、とにかくスケールが桁違いなマンガでした。当時は新刊がいつ発売されるかよくわからなかったため、毎週のように近所のコンビニに通い、新刊を発見するたびに購入していたことが懐かしいです。一冊35¢か50¢だったので、気軽に買えたというのもポイントでした。いまさらながらネットで調べてみたところ、70年代のひところは"32 different titles every two months!"とありましたので、どうりで毎週のように2冊も3冊も新刊が出ていたわけだと納得しました。タイトルごとにだいたい内容が決まっているのですが、個人的には"Richie Rich and Professor Keenbean", "Richie Rich Dollars and Cents", "Richie Rich Gold and Silver", "Richie Rich Profits", "Richie Rich Diamonds", "Richie Rich Zillionz", "Richie Rich Vaults of Mystery "などが好きでした。結果的には、このマンガで英語を勉強したようなものです。
 
ドラえもんにもはまりましたね。秘密道具のどれもが魅力的で、とにかく夢中になって読んでいた気がします。大長編映画の原作となった「のび太の恐竜」がコロコロコミックで1980年1月に連載を開始した頃には既にはまっていて、高校生くらいまで読んでいました。藤子不二雄のマンガでは他にも「T・P(タイムパトロール)ボン」「みきおとミキオ」などにもはまりました。
 
あとはいつ頃夢中になったのか忘れてしまいましたが、「伊賀のカバ丸(亜月裕)」「東京探偵団(細野不二彦)」「ジーザス(原作:七月鏡一、画:藤原芳秀)」「YAWARA!(浦沢直樹)」「風魔の小次郎(車田正美)」「総務部総務課山口六平太(作:林律雄、画:高井研一郎)」「修羅の門(川原正敏)」「龍狼伝(山原義人)」「いいひと。(高橋しん)」「疾風伝説 特攻の拓(作:佐木飛朗斗、画:所十三)」「のぞみウィッチィズ(野部利雄)」「あおいちゃんパニック(竹本泉)」「うしおととら(藤田和日郎)」「ガッツ乱平(百里あきら)」「とってもひじかた君(鈴宮和由)」などなど、そのときどきにいろいろなマンガにハマっていました。ちなみに今は「日本沈没(作:小松左京、画:一色登希彦)」にハマっています。
 
ということで冒頭にも書きましたが、とにかくマンガはいろいろなきっかけを与えてくれました。歴史や科学、物理、地理への興味から、言葉の勉強まで本当にいろいろと教えてくれた気がします。きっとこれからもマンガから離れることはないでしょう。(笑)

2007年12月15日土曜日

2007年12月15日(土) FOMA SO905i 雑感

携帯を閉じたままニュースが読める!
携帯を新調して早2週間。いいところ、悪いところ、いろいろ見えてきましたので、まとめてみました。
 
まずはいいところ。
 
①本体デザインがシンプルで、でっぱりがないところ。ソニーエリクソンモデルでワンセグが見れるのにSO903iTVの購入を見送ったのは、ひとえに本体のでっぱりがあったから。他の905iモデルはデザインがパッとしないし...。デザインの好みは人それぞれなんですけどね。
 
②ミュージックプレーヤーがATRAC3&MP3対応であること。不思議なことに、このファイル方式に対応したミュージックプレーヤーを搭載している現行のDoCoMo携帯はこのSO905iだけ...。他の機種は揃いも揃ってWMAとAAC、よくてSDオーディオにしか対応しておらず、パパペライザーがたまたま保有しているATRAC3&MP3の資産がまったく利用できないのです。
 
③サブディスプレイでiチャネルの情報が見れること。iチャネルというのはニュース・天気・スポーツ・芸能・占いをテロップで表示してくれるサービス(しかも約2時間おきに情報が更新される)なのですが、サブディスプレイで見れるため、携帯を開かなくてもいいのです。(写真参照)ただでさえ、折りたたみ式携帯は開くとかさばってしまうので、この機能はすばらしいです!
 
④音楽再生時に浮かび上がるミュージックタッチキー!普段は単なるつるっとした本体表面なのですが、ミュージックプレーヤー再生時にだけミュージックキーが浮かび上がるというのは、本体デザインが損なわれないのでとてもいい感じです。
 
⑤JOGダイヤル搭載で、軽快な操作感!くるくる回す操作は使い慣れると病みつきになりますね。
 
次によくないところ。
 
①受話音量が小さいかも?実用に耐えないというレベルではないのですが、雑踏の中での会話は難しいかもしれないです。
 
②動作がもっさりしている。機能を切り替えるときの動作スピードが正直のろいです。ツーテンポくらいのろいときもあるので、まるでパソコンを使っているみたいです。機能が満載で、W-VGA液晶を採用していることから処理しなければならない情報量が飛躍的に増えているのが理由のようですが、なんとかならないもんですかね。
 
③内部メモリが512MBしかない。SO903iは1GBあったのですが、半分になっちゃったんですね。足りない分は外部メモリで補うことができるのですが、内部メモリが充実していないと動画の記録再生時に影響が出てきます。外部メモリと本体間のデータ転送速度の問題で、内部メモリに保存した動画はスムーズに再生されないんです。パパペライザーが動画機能を使用することはほとんどないと思うので、たいした問題ではないんですが。
 
④変な雑音が!?ミュージックプレーヤーを使ったりワンセグを見たりした後、その機能を停止してから10秒後くらいに「ブツッ!」って音が入るのですが、それが割と気になります。
 
⑤イヤホン端子のカバーがスライド式ではない。前モデルのSO903iはスライド式でとても使い勝手がよかったのですが、SO905iではキャップに戻ってしまいました...。カバーを頻繁に着脱するパパペライザーにとっては大きな不満です。
 
ということで、最新式携帯であるがゆえに優れているところがある一方で、まだまだ改善の余地は残されているという報告でした。

2007年12月5日水曜日

2007年12月5日(水) 携帯電話の変遷

初めて所有した携帯電話

最近、携帯電話を新調しました。以前に予告していたDoCoMoの"SO905i"です。ということで、今日はパパペライザーの携帯電話の変遷について書いてみたいと思います。
 
パパペライザーが初めて所有した機種はPanasonicのEB-PD350(キャリアはNTT DoCoMoで、P101 HYPERと同型機)でした。(確か1996年3月頃に購入)新宿のヨドバシカメラで購入したのですが、当時としては最も軽量な155gということもあって、8万円以上したのを憶えています。当時はi-modeはもちろん始まってなく、通話料も6~7秒で10円とかしていた記憶があります。加えて、遠距離(160キロ以上)にいる携帯電話ユーザーに電話をかけるときは、市外局番に相当する番号を変更しなければなりませんでした。例えば、通常は「030・・・」とかけていたとすると、遠距離にいる場合は「040・・・」とかけなければならなかったのです。実際、遠距離の携帯に電話をすると、「おかけになった番号に 040 をつけてお掛け直しください・・・」のアナウンスが流れるのです。所持者が遠くへ出かけているのがわかる、という便利な面もありましたが、今にして思えば信じられないことです。
 
2機種目は海外へ赴任した際に会社から持たされたMotorola機。機種名も何も憶えていませんが、時代の逆行も甚だしいもので、筆箱と同じくらいのサイズと2キロ以上はあるのでは?と思う重量はとても携帯電話と呼べる代物ではありませんでした。しかも、とてつもない着信音!これで気付かない人はいないと思うくらいの音量でした。
 
3機種目も会社から持たされたものですが、ERICSSON製(まだSONY ERICSSONになる前)の"T10"でした。Motorola機と比べたら、ものすごくコンパクト!ただ、1行しか液晶表示部がなく、SMS(Short Message Service)を送る際にとても不便でした。
 
4機種目も会社から持たされたもので、Panasonic製の"GD92"でした。限りなく初めて所有した機種に似ていました。(同じメーカーなので当然といえば当然ですが)これは液晶表示部も結構広く、かなり長いこと使いました。
 
5機種目はSIMカードだけ会社から持たされていたものを使用し、機種だけをSONY ERICSSON製の"T610"にしました。これは発売されてすぐに飛びついたのですが、少し前まで所有していた機種の前身ともいえるスタイリッシュなストレート端末でした。これは背面にデジカメがあり、Bluetoothもついていて、着メロのデータを送信したり電話帳を交換したりとずいぶん先進的な機能を有した機種でした。ちなみに販売奨励金なんてものはありませんでしたので、価格は6万円近くしました。
 
6機種目からは再び日本になりますが、SONY ERICSSONの"SO506i"でした。"T610"によく似ていたため、一気に惚れ込み、発売と同時に飛びつきました。DoCoMoのMova機だったのですが、3年近く愛用しました。
 
ということで、今回新調した機種は7機種目ということになり、それがSONY ERICSSON製"SO905i"となります。DoCoMoのFOMA機ですが、パパペライザーにとっての初めての折りたたみ機種となります。機能満載なのは実はおまけのようなもので、DoCoMoでSony Ericsson製で海外フル対応でVGA液晶がついていて、かつワンセグが見れる機種というのがポイントでした。他のキャリアや他のメーカーに目を転じてみればそれほどめずらしくはない機能なのですが、なぜかDoCoMoのSONY ERICSSON機ということに絞り込んでしまうとなかなか...という状況でした。ちなみに使ってみての感想ですが、実にいいです!特に、VGA液晶にこだわって本当によかったと思っています。QVGA液晶(ほとんどの携帯はコレ)の4倍の密度は伊達ではなく、縦でワンセグを見てもテロップや字幕が読めるんです!これは画期的と思いました。当然末永く使用する予定ですので、バリュープラン(家族割りMaxを併用)にしました。おかげで端末の価格は5万円を超えましたが、満足しています。
 
とにかくこれでスマートフォン(i Phoneなど)に向けたことのある触手が引っ込んでしまいましたので、当分は携帯端末に対しての物欲は沸かなくて済みそうです。

2007年12月4日火曜日

2007年12月4日(火) 定年退職

現在のパナマ市
11月末、ボスは37年間の会社人生を終えて定年退職されました。それにしても37年前ってことは1970年。パパペライザーが1歳の頃です。送別会のとき、ボスは「入社の前日はよど号ハイジャック事件の日だったんだよなぁ。」と言ってました。よど号ハイジャック事件といえば、過去の大事件を扱った報道番組でよく見かけたことがあるくらいなのでピンとはきませんが、自分が既に産まれていた時代に定期入社した人が定年退職をする年になったんだなぁと思いました。

ボスは37年間の会社人生の半分以上を海外で過ごされました。最初の赴任地はパナマ!ボスが20代後半のときだったそうです。現在は駐在員事務所も何もありませんが、パナマ運河くらいしかないと思っていた街でどんな暮らしをしていたんでしょうか?とにかくそこを拠点にラテンアメリカ各国を飛び回って営業していたんだそうです。
 
パナマでの長いお勤めのあとやっと帰国と思いきや、今度はオランダへ国際間異動!そこでも同じくらいの期間を過ごされ、最終的に日本に戻ってきたのは21世紀になる直前でした。実はそのあと3年間の日本でのお勤めのあと、再び今度はUSAに赴任され、帰国。現職を4年勤められ、晴れて定年退職と相成った次第です。ボス、本当にお疲れ様でした!
 
さて、定年というのはどういう意味なのでしょうか?ネットで調べてみたところ、「労働者が定年に達すると自動的に雇用関係が終了する制度」のことだそうです。それから、企業や公務員の大部分が定年退職制度を定めているだけで、「還暦=定年退職」⇒「国民の義務」ということではないそうです。(努力義務規定はあったようです)
 
ところが、2006年4月1日に施行された改正高年齢者雇用安定法によって、定年の引き上げの動きが目立ってくるようになりました。事業主は65歳までの安定した雇用を確保するために、下記のいずれかの措置を講じなくてはならなくなったのです。
 
定年の
 ①65歳への引上げ
 ②継続雇用制度の導入(労使協定により、継続雇用制度の対象となる基準を定めることができる)
 ③廃止
 
いずれかなので、大企業はともかく、中小企業などは「②継続雇用制度の導入」で対応する場合が多いようです。いずれにしても、年金(厚生年金)の受給開始時期の問題があるため、パパペライザーが還暦を迎えるときにはまだまだ働き盛りという時代になってしまいそうです。
 
欧米諸国では雇用における年齢差別の廃止という目的のため、定年の廃止、または法律で禁じていることが多いようですが、これはどうかと思います。極端な例では、87歳の女性が解雇されるにあたり、解雇手当が支給された例もあるとか!?
 
ちなみにボスですが、定年後はアジアのどこかの国で奥様共々静かに暮らすことを考えているそうです。(永住ではなさそうですが)
 
いつまでもお元気で!